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目黒不動
目黒の回転寿司「活」にSさんと行く。
この前来た時は、管付だったので、座り心地が悪かった。今回は自由の身。残念ながら、まだ尿漏れはあるが、座れば漏れない。
前回は、入院中夢にまで見たところなので、がつがつと早く食べ過ぎた。紙に書いて頼むのと、回ってくるのに、次々と手を出したので、追いかけられるように食べた。今日は、落ち着いて食べようねとSさんと話す。
昼時だったので、外まで行列。50人近く、並んでいたが、回転が速く30分過ぎくらいに順番が来る。
最初に、紙に書いて出すのを止め、回ってくるのを取る。
トロいわし酢漬け、ほたて、やりいか、しらうお、しめさば、さんま、あじ、まぐろ、子持ち昆布など頼む。ゆっくりゆっくりと心がけるが、次第にピッチが早くなってしまう。最後に紙で、大穴子、鉄火巻、数の子を頼む。前回ほど、あわただしくなかったが、前回より一杯食べてしまった。満腹。入院で痩せた分を取り戻してしまう。
ご機嫌で、目黒不動尊に行く。不動尊前で降りて、歩く。坂を登って下る。腹ごなしに丁度良い。
不動尊の前に塚がある。なんだろうと覗き込んだら、白井権八と遊女小紫の悲話を伝える「比翼塚」であった。Sさんは歌舞伎で権八を良く知っているので興味津々である。
「権八は生前、東昌寺の隋川和尚に尺八を習ったことがあり、その縁で和尚は処刑された権八を同寺に葬った。これを知った小紫は、廓を抜け出し権八の墓前で自害した。二人を憐れんだ人々は同寺に比翼塚を建てた。東昌寺は後に廃寺となったため、塚は何カ所か転々とした後、現在地に移された。」
目黒不動尊は、正月の準備をしている最中。
仁王門をくぐると正面に大本堂へ至る急な石段がある。石段下の左方には「独鈷の滝」(とっこのたき)があり、子供がザリガニ取りをしている。こんなところに今頃いるんだろうかと思うが数人夢中で糸をたれているのでいるんだろう。
リハビリにはうってつけの階段を登る。
階段の先が大本堂。お賽銭を上げてお参りする。病が直ったことへの感謝と尿漏れが治りますようにとお参り。Sさんが珍しく長くお参りしている。*ちゃん(私のこと)のしっこ漏れが直りますようにとお参りしたそうだ。
「泰叡山瀧泉寺といい不動明王を本尊とする関東最古の不動霊場である。
寺伝では大同3年(808年)に慈覚大師円仁が下野国から比叡山に赴く途中に不動明王を安置して開創したという。 1615年に本堂が火災で焼失したが、1624年徳川家光によって再建され、以後徳川幕府の庇護を受け繁栄するようになった。 文化・文政の時代に「江戸の三富」と呼ばれた富籤が行われていた。境内の独鈷滝を浴びると病気が治癒するとの信仰があった。江戸時代には一般庶民の行楽地として親しまれ、江戸名所図会にも描かれている。また、落語の目黒のさんまは、この近辺にあった参詣者の休息のための茶屋(爺が茶屋)が舞台だとされる。」
裏に回ると、「大日如来坐像」がある。ここでもお参り。
「天和3年(1683)鋳物師横山半右衛門尉正重によって造られたこの像は、10数か所に分けて鋳し、それを寄せて一体とした吹き寄せの技法で造られている。」
階段を降りる途中に「役の行者倚像」がある。足腰が何時までも強くありますようにと祈る。
「江戸時代の銅造彫刻として優れた遺品。寛政8年(1796)太田駿河守藤原正義作。」
独鈷の瀧。
「慈覚大師が持っていた独鈷で地面を叩いたところ霊泉が湧き、滝となって流れ落ちたのでこの名がついた滝に打たれて身を清める水垢離場として人気を集め今でも水垢離する人の姿が見られる。」
階段の上り下りでくたびれてしまい、石に腰をかけて一休み。尾羽をひょこひょこ上下する水鳥がいる。Sさんが水場が多いからいるのかしらと言う。
帰りはくたびれて、腕を組んで、引きずられるようにして歩く。
比翼塚

目黒不動尊本堂


役の行者倚像

独鈷の瀧

この前来た時は、管付だったので、座り心地が悪かった。今回は自由の身。残念ながら、まだ尿漏れはあるが、座れば漏れない。
前回は、入院中夢にまで見たところなので、がつがつと早く食べ過ぎた。紙に書いて頼むのと、回ってくるのに、次々と手を出したので、追いかけられるように食べた。今日は、落ち着いて食べようねとSさんと話す。
昼時だったので、外まで行列。50人近く、並んでいたが、回転が速く30分過ぎくらいに順番が来る。
最初に、紙に書いて出すのを止め、回ってくるのを取る。
トロいわし酢漬け、ほたて、やりいか、しらうお、しめさば、さんま、あじ、まぐろ、子持ち昆布など頼む。ゆっくりゆっくりと心がけるが、次第にピッチが早くなってしまう。最後に紙で、大穴子、鉄火巻、数の子を頼む。前回ほど、あわただしくなかったが、前回より一杯食べてしまった。満腹。入院で痩せた分を取り戻してしまう。
ご機嫌で、目黒不動尊に行く。不動尊前で降りて、歩く。坂を登って下る。腹ごなしに丁度良い。
不動尊の前に塚がある。なんだろうと覗き込んだら、白井権八と遊女小紫の悲話を伝える「比翼塚」であった。Sさんは歌舞伎で権八を良く知っているので興味津々である。
「権八は生前、東昌寺の隋川和尚に尺八を習ったことがあり、その縁で和尚は処刑された権八を同寺に葬った。これを知った小紫は、廓を抜け出し権八の墓前で自害した。二人を憐れんだ人々は同寺に比翼塚を建てた。東昌寺は後に廃寺となったため、塚は何カ所か転々とした後、現在地に移された。」
目黒不動尊は、正月の準備をしている最中。
仁王門をくぐると正面に大本堂へ至る急な石段がある。石段下の左方には「独鈷の滝」(とっこのたき)があり、子供がザリガニ取りをしている。こんなところに今頃いるんだろうかと思うが数人夢中で糸をたれているのでいるんだろう。
リハビリにはうってつけの階段を登る。
階段の先が大本堂。お賽銭を上げてお参りする。病が直ったことへの感謝と尿漏れが治りますようにとお参り。Sさんが珍しく長くお参りしている。*ちゃん(私のこと)のしっこ漏れが直りますようにとお参りしたそうだ。
「泰叡山瀧泉寺といい不動明王を本尊とする関東最古の不動霊場である。
寺伝では大同3年(808年)に慈覚大師円仁が下野国から比叡山に赴く途中に不動明王を安置して開創したという。 1615年に本堂が火災で焼失したが、1624年徳川家光によって再建され、以後徳川幕府の庇護を受け繁栄するようになった。 文化・文政の時代に「江戸の三富」と呼ばれた富籤が行われていた。境内の独鈷滝を浴びると病気が治癒するとの信仰があった。江戸時代には一般庶民の行楽地として親しまれ、江戸名所図会にも描かれている。また、落語の目黒のさんまは、この近辺にあった参詣者の休息のための茶屋(爺が茶屋)が舞台だとされる。」
裏に回ると、「大日如来坐像」がある。ここでもお参り。
「天和3年(1683)鋳物師横山半右衛門尉正重によって造られたこの像は、10数か所に分けて鋳し、それを寄せて一体とした吹き寄せの技法で造られている。」
階段を降りる途中に「役の行者倚像」がある。足腰が何時までも強くありますようにと祈る。
「江戸時代の銅造彫刻として優れた遺品。寛政8年(1796)太田駿河守藤原正義作。」
独鈷の瀧。
「慈覚大師が持っていた独鈷で地面を叩いたところ霊泉が湧き、滝となって流れ落ちたのでこの名がついた滝に打たれて身を清める水垢離場として人気を集め今でも水垢離する人の姿が見られる。」
階段の上り下りでくたびれてしまい、石に腰をかけて一休み。尾羽をひょこひょこ上下する水鳥がいる。Sさんが水場が多いからいるのかしらと言う。
帰りはくたびれて、腕を組んで、引きずられるようにして歩く。
比翼塚

目黒不動尊本堂


役の行者倚像

独鈷の瀧

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